兵庫県豊岡市出石町内町

2021年10月14日


日本のお城に戻る
日本のお城』 メインとなる ”出石城跡”が貧弱で、サブとなる ”有子山城跡の方が、山歩きも出来て楽しかった。
出石城跡(出石のHPから抜粋)
  出石城は慶長9年(1604年)、小出吉英(こいでよしふさ)によって有子山の麓に築かれたお城です。 出石城の築城とともに城下町が整備され、出石の町並みが形成されました。 明治の廃城令によって建物は全て取り壊されましたが、野面積みの見事な石垣がそのまま残るほか、隅櫓や登城門、登城橋などが復元されており、往時の面影を偲ぶことができます。 一番の見どころは、最上段にある稲荷神社からの展望です。
有子山城跡(出石のHPから抜粋)
  標高321mに遺された戦国時代の山城有子山城は、標高321mの急峻な有子山に築かれたお城。 本丸まで登りきると、出石を遥か遠くまで見晴らせる絶景パノラマが味わえます。 慶長9年(1604年)に小出氏により山麓に出石城が築かれると、山頂の有子山城は廃城となりました。 現在は、遺構として主郭や階段状に残る曲輪を見ることができます。
出石城跡
  出石はおそばと城下町で有名であるが、出石城跡自体への注目度は少ない様である。
出石城跡の遺構としては樹木に覆われて見え難い2つの櫓しかないことが、観光客の目を引かないのではないかと思う。 樹木を伐採するだけでも、景観が随分変わると思うのだが・・・
有子山城跡
  この城跡の事は最近まで知らなかったし、出石城跡とセットで扱われていることを最近知ったばかりである。 城郭の石垣以外は何の遺構も残っていないのだが、本丸跡からの展望は山歩きとしてリピーターを呼んでいるのだろう。
〔162〕出石城跡,有子山城跡
  元々は城跡好きではなかったので、出石にはおそばを食べに行ったり、通過の町として何度か行っているが、お城跡を見たいと思ったことは無かった。
いずしじょうあと  ありこやまじょうあと
Road Map :R426の乙女橋から県道2号線を北進し、出石の市街に入る。
Route Map:入城は無料であるが、駐車場に400円が必要。

続日本100名城
出石城跡は簡単に見ることが出来るが、有子山城跡まではきつい山歩きが必要である。
遊歩道を抜けると、お土産屋さん、レストランが立ち並ぶ観光地街となる。
城跡に一番近い駐車場は500円であるが、少し離れた西の丸駐車場は
百円安い400円でガラ空きの状態であった。
”本丸跡”へ西から入る ”登城橋”を渡る。
”登城橋”から入ると、正面に ”本丸跡”の ”西の櫓”が見えていた。
”本丸跡”に入っていく。
後ろから見た ”本丸跡”の ”感応殿”と ”西の櫓”
”本丸跡”に建つ ”感応殿”と ”西の櫓”。
元々 ”天守閣”は建っていないらしく、2つの貧相な ”櫓”があるだけらしい。
大きな石碑が立っていた。
この見事な ”鳥居”の羅列は ”稲荷神社”まで続いている様だ。
”出石城跡”を出たところには上下37基の ”鳥居が続いていた。
じみーな ”稲荷神社”に着く。 場所的には ”出石城跡”の少し上であった。
”稲荷神社”から見下ろした ”出石城跡”の櫓と庭園。
[有子山城跡]への登山。
簡易地図にも真っ直ぐな急登として描かれていた。
城跡巡りだけではなく、山登りとしても有名な様であった。
遊歩道は自然木の階段で良く整備されていた。
遊歩道の取っ付きから、登りの困難さが臭っていた。
尾根筋が真っ直ぐなので登山道(遊歩道)も真っ直ぐに形成されているのだろう。
浅い知識ですが ”堀切”って溝ではなかったですかね。
気が付かなかったが、中々、高級な丁目石だった。
階段道の先の先まで見えているのが辛い。
平地に出たと思ったが、先には階段道が続いていた。
ここでの ”中間地点”は標高の中間地点では無く、えん面距離での
中間地点だと思う。 ここから先は楽な道だと書かれていた。
六丁目で曲輪の表示が出てくるが、今では樹木が茂り、
曲輪の面影は残っていない。
未知のこの先に備えて、歩きながら休息しておく。
案内板通りに少し下り気味のなだらかな登山道に変貌する。
三叉路をUターンする様に曲がると、”主郭”、”千畳敷”への本筋となる。
ここは寄り道は止めておく。
”曲輪”とは当時の平地であり、現在は樹木が茂ってしまっている。
”石切場”に行くのはパスしておく。
城郭の片鱗が出てきた。
登るに従い展望が開けてきた。 曇ってしまったのが残念であるが、寒い位に涼しくなって来た。
所々に ”曲輪”と呼ばれている平地があるが、それが展望を良くしていた。
石垣の下で左 ”主郭(本丸)、右 ”千畳敷”への分岐となっていた。
どちらにも興味があるので、2つ共に見ておく。
”主郭”は後でじっくり見たいので、まずは ”千畳敷”行ってみる。
金網で保護されているのは ”千畳敷”の石垣である。
”千畳敷”はカメラのパノラマモードに入り切らないほどに広く、
当時は樹木も無く、ここに屋敷が建ち並び、庭園もあった様である。
”千畳敷”と ”本丸跡”とは堀を挟んで対面にあり、東屋では2人の女性が談笑していた。
崖にはロープが張ってあり、近道しようかと思ったが、崖が崩れていたので途中で止めた。
分岐点に戻り、本丸の ”主郭”に行ってみる。 石垣の雑さが目立つ。
”有子山”の ”本丸跡”は広々とした芝生広場となっており、
展望東屋には先程の2名の女性がまだ休息していた。
山城は大体展望が良く ”有子山城跡”からも出石の町並みが一望出来た。
”主郭”と書かれている箇所が展望東屋のある山頂部である。
お2人の写真を撮ろうとすると、慌てて反対方向に逃げられてしまった。
右の方は76歳、下りが怖いから縦走路で下山すると言われていた。 お元気なお婆さんだ。
登りでは苦しめられたが、下りは階段がスリップ防止となり、
淡々と下ることが出来た。
再度、出石城跡の ”西の櫓”を見ておく。
登りと違って30分程で稲荷神社の鳥居に戻ることが出来た。
平地の ”三の丸跡”から見た ”東の櫓”と西の櫓”は殆どが樹木に隠れてしまっている。
先程 ”有子山城跡”から出石の町並みを眺めていたが、ここからも ”山頂の東屋”を見ることが出来た。
出石の町並みをゆっくりと散策したかったが、次に ”篠山城跡”行く都合で時間がないので、過去には日本一古い時計台だった ”辰鼓楼”だけを見ておく。
日本で一番古いとされていた時計台 ”辰鼓楼”(しんころう)は今年の調査で札幌の時計台より27日及ばなかった事実が見つかったらしい。